「それは違う」
「君の考えは間違っている」
「ここはこうした方がいい」
仕事上で、上司や同僚からの”フィードバック”は、仕事の質を向上させるものと広く信じられています。
他人の仕事のダメな点を指摘し、それを克服させてレベルアップさせるというものです。
私も法律事務所と会社で働き、無数にフィードバックを受けてきました。
辛辣なもの、軽いものを含め、うれしいフィードバックよりもうれしくないフィードバックの方が多いようです。
はたしてこの欠点ばかり指摘する「フィードバック」はそもそも有効なのか。
「フィードバックはよいに決まってるだろ」という思い込みを疑い、有効だとしてもどういうやり方をすると効果的なのかを検証するのが本記事です。
ベースになった論文は、マーカス・バッキンガム=アシュリー・グドール「フィードバックの誤謬」 DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー論文(2019年10月号)です。
1 ダメ出し型フィードバックは有効ではない
フィードバックとは、「相手のパフォーマンスに対する自分の意見と、改善するための方策を伝えること」です(「フィードバックの誤謬」)。
本記事では、フィードバックのうち、相手のパフォーマンスの欠点だけを取り上げることを「ダメ出し」ということにしましょう。
(1) ダメ出しフィードバックは有害
先に結論をいえば、世間で一般的に行われているフィードバックや上司のダメ出しの類は、有効ではなく、むしろ有害です。
フィードバックとは、相手のパフォーマンスに対する意見と改善するための方策を伝えることだと認識されている。しかし、研究結果によれば、これはまったく相手のためにならず、むしろ学習を妨げる。
(マーカス・バッキンガム=アシュリー・グドール「フィードバックの誤謬」 DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー論文(2019年10月号))
ダメ出しを「フィードバック」とかっこよく言っても効果が乏しいのは同じです。
ダメ出しやフィードバックは、まったく相手のためにならず、むしろ学習を妨げる。
職場ではこれをやっても相手は成長しないということです。
部下にダメ出しばかりやってる上司は、無意味なことに時間・労力を割いている無能社員だということです。
(2) ダメ出しはなぜ有効ではないのか
なぜダメ出し型フィードバックは良くないのか?
「フィードバックの誤謬」で示された理由の概要は以下3つです。
- 人は他人のパフォーマンスをきちんと判断できないから
- 批判は学習を阻害するから(神経科学の知見による)
- 卓越性は個々人によって異なるので、他人の成功事例は当てはまらないから
「フィードバックの誤謬」では、フィードバックは効果的であるとする主張を3つあげ、それらには理由がないと論じています。
「フィードバックが必ずよいものであるとする」と考えるのは、以下3つの理由があるとされます。
- 自分の弱点は外から見ている他人の方がよくわかるから、フィードバックは意味がある
- 学習とは欠点をなくすことによって成長することであり、フィードバックによって欠けている部分、能力を付けさせてやるべきだ
- 誰でも目指すべき「優れたパフォーマンス」があり、誰でもそれに近づけるようにすべきだ
「フィードバックの誤謬」の筆者は、上記主張はいずれも「自己中心的」であると批判しています。
いずれも、自分には知識があって相手にはなさそうだということを既定の事実ととらえている。つまり、相手も当然、私のやり方でやるべきだと思い込んでいる。しかし結局のところ、自分のパフォーマンスを引き出した要因が他者のパフォーマンスも引き出すだろうと考えるのは、身のほど知らずなのである。
(マーカス・バッキンガム=アシュリー・グドール「フィードバックの誤謬」 DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー論文(2019年10月号))
研究の結果、これらの説がいずれも正しくないことが明らかになった。これらの説に依存すればするほど、また、これらに基づいたテクノロジーを使えば使うほど、相手から引き出せる学効果や生産性は低下する。
マーカス・バッキンガム=アシュリー・グドール「フィードバックの誤謬」 DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー論文(2019年10月号)」による、3つの主張への批判はそれぞれ以下の通りです。
ア 他人の評価は当てにならない
「他人は、自分を外から客観的に見ている。そのため、自分よりも他者の方がよりよく評価できるはずだ」という考えは誤っています。
過去40年、精神測定学者の研究が繰り返し示してきたのは、人間には抽象的な資質(たとえば「ビジネス感覚」や「自己主張」)の一貫した定義を頭に入れ、それに基づいて正確に他者を評価できるような客観性はないということだ。
マーカス・バッキンガム=アシュリー・グドール「フィードバックの誤謬」 DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー論文(2019年10月号)
人は、他人を見るときに、それほど客観的に評価できるわけではありません。
自分が他人を評価するときに、主観を抜きにして評価するのは不可能です。
どうしたって好き嫌いといった感情等の主観が混入します。
主観は混入するどころではありません。
ほとんど主観で埋め尽くされている可能性があります。
それゆえ「転職時の採用面接に意味はない | 面談で人は見抜けない」のです。
他者を評価する時には、その評価項目に対する自分自身の理解、ある能力について何をよしとするかという感覚、評価者としての厳しさや甘さ、無意識に染み付いた偏見といったものが色濃く反映される。この現象は「特異評価者効果」と呼ばれ、その影響は大きく(人が誰かを評価する時、評点の半分以上には評価対象者ではなく評価者自身の性格が反映されている)、頑固である(どんな訓練をしても弱めることはできない)。つまり研究によれば、フィードバックは真実どころか歪曲されているのである。
同上
よって、「自分の弱点は他人の方がよくわかるからフィードバックは意味がある」という主張は成り立ちません。
イ 学習とは欠点の補充ではなく長所のパワーアップである
短所克服も学習の一つだと思えます。
我々が全体として受け入れている説に、フィードバックには有益な情報が含まれていて、その情報は人の学習を加速させる魔法の薬だというものがある。
マーカス・バッキンガム=アシュリー・グドール「フィードバックの誤謬」 DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー論文(2019年10月号)
多くの人はこの説を信じていると思います。
でもこの説は誤りだと。
研究結果が示すのはまったく逆である。
同上
「まったく逆」。
つまり、フィードバックは人の学習を減速させるのだというのです。
なぜ「フィードバックの誤謬」では、欠点を直すのがよい方策と考えないのでしょうか。
それは、そもそも「学習とは、欠けている何かを追加するプロセスというよりも、すでにあるものを認識、強化、洗練するプロセス」のことを指すからだ。というのが「フィードバックの誤謬」の主張です。
こう主張するには理由が2つあります。
どちらも脳内の神経学的な理由です。
① 人は自分が得意とする分野においてより大きく成長するから(能力が開発されている分野が、我々の強みになる)。
脳の作りからして、長所にフォーカスする方が得策だということです。
脳は死ぬまで成長を続けるが、成長の仕方は人それぞれだ。我々の脳の回路は、遺伝や幼少期の特殊な環境の影響を受けるため、一つとして同じものはない。脳にはシナプス結合が密な部位もあれば、もっとまばらな部位もあり、そのパターンは人によって異なる。脳科学によると、すでにニューロンやシナプス結合が最も多く発達している部位では、それらの増加ペースが他の部位よりも速い。言い換えれば、どの脳も、すでに一番優れているところが一番成長しやすいのである。
同上
ちなみに脳を鍛えるには運動が良い。
優れているところをより強化する方が脳の内部では成長しやすく、効率がいい。
人生の時間は有限です。学びは効率が良い方がいい。
我々が学びを得るのは、自分の理解に深みや幅を加えることを通して、物事のよりよい方法に気づく時だということである。学習の土台になるのは自分の得意なことに対する理解であって、苦手なことに対する理解ではない。もちろん、他者が考える私たちの苦手なことでもない。
同上
② 自分の強みに注目が集まると学習が促進されるが、弱みに注目されると学習が抑制されるから
実験によると、人は「直すべき点」を聞かされると、脳では交感神経が活性化します。
交感神経が活性化するのは、闘争・逃走反応が生じているということです。
脳は批判的なフィードバックを脅威と受け止めて、戦いに集中させ、その他の活動を制限するのです。
つまり、新型コロナ感染症の第一波の後に緊急事態宣言を出したようなものです。
感染症の拡大防止に集中し、それ以外の重要度を下げる。
簡単にいえば、ダメ出しをされると自分を守るための防衛に全集中してしまいます。
心理学と経営学の教授であるリチャード・ボヤツィスは、この研究成果を要約して、批判によって生じる強烈な負の感情は「既存の神経回路へのアクセスを阻害し、認知、感情、知覚面の機能障害を生じさせる」と指摘した。
同上
弱点や欠点にフォーカスを当てることは、学習を促進せずに阻害するのである。
ではどういう場合に学習効果が高まるのか?
学習効果が最大化するのは、自分の中でうまく行っていることに他者が目を留め、それを賢く伸ばすことを求めた時である。
同上
褒めて伸ばす、というやつです。
学習のコツは自分の快適ゾーンから飛び出すことだとよくいわれるが、研究結果はこのお決まりの考え方とは相容れない。快適ゾーンから遠く離れると、我々の脳は生き延びることで精一杯になり、それ以外のことに注意を払わなくなる。
同上
余裕のない環境に置かれると今を生き残るために必死になってしまい、それだけしかやらなくなるということですね。
これは、英語力が低い大人が英語圏に言った場合でも見られます。
1年も海外生活すれば英語がペラペラになるか?
なりません。特に社会人はひどい。
英語が全くダメな人が英語圏の生活に放り込まれるとどうなるかわかりますか?
“イェー”とか”リアリィ?”と言った、自分の貧弱なボキャブラリーでやり過ごす術を身につけるのです。
その結果身につくのは、「高い英語力」ではなく、「低い英語力でもなんとなくやりすごす身の処し方」です。
子どもと違って、大人はもうかなりどうしようもない。
なので英語力が低い大人には留学は全く勧められません。
そのため私は企業による従業員の海外語学留学制度を猛烈に批判しています。
「現地でがんばって英語をマスターする!」という強い意欲があるなら、日本にいるうちにがんばって英語力を高めるべきです。
話がそれました。
学習効果とフィードバックに戻りましょう。
神経回路が最も発達している快適ゾーンにおいて、我々の学習効果が最大化するのは明らかだ。
マーカス・バッキンガム=アシュリー・グドール「フィードバックの誤謬」 DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー論文(2019年10月号)
快適ゾーンにいる時にこそ、我々は最も柔軟に可能性を受け入れ、最大の創造性、洞察力、生産性を発揮する。そしてまさにこの領域について――つまり我々が絶好調の状態の時に―フィードバックを与えるべきなのだ。
他人を成長させ、能力を高めたいと思うなら、ダメ出しではなく、相手を調子に乗せるべきだということです。
ではどうしたらいいのか。
次の項目では良いフィードバックについて説明し、その後の項目では具体的な
なぜダメ出しもフィードバックも効果が乏しいのに多くの上司は部下に不満を持ちながらこれを続けるのでしょうか。
2 ダメ出ししかしない上司の心理 | 自己満足のため
ダメ出しは有効ではないにもかかわらず、なぜ多くの上司はダメ出しを多用するのでしょうか。
(1) 上司は部下にダメ出しして自分の有能さに満足したい
上司の部下への心ないコメントは、上司の自己満足によるものです。
先輩・上司は以下のように思いながら後輩・部下に対してダメ出しをしているのです。
- 私はこいつより優秀だ。
- こいつはまだまだだ。
- こいつのダメなところを直してやろう。
- 優秀な私だからこそできるのだ。
- ああ、なんて私は価値があるのだろう!
とても自己中心的な考え方です。
そんな自分のダメ出しが効果を発揮しているかは、自分でよく考えたりしません。
部下の行動が変わらなければこう思うわけです。
- あいつは無能だ。
- 頑張ってない。
- 何度も教えてるのに。
こうした人にダメ出しをする人は、「自分は無問題。問題はあっち」と思い込んでいます。
こういう思い込みには、社会心理学の裏付けがあります。
人は自分を有能だと思いたい。
上司であれば有能な管理職と評価されたい。先輩社員は後輩よりもデキる社員と認識されたい。
このような自分についてよい感情を持ちたい、自己評価を高めたいという動機である自己高揚動機(self-enhancement motivation)が発動することによって自己満足のダメ出しが繰り返されます。
この現象については、「仕事ストレスは裁量の乏しさに由来するので転職でも注意すべき」の中で書いた「自己高揚動機に駆られた上司は部下にあれこれ口出しする」という項目で、以下2つに行きつくと説明しました。
- 自分は有能という幻想にとりつかれる
- 自分は抜群の管理能力があると思い込む
この幻想、思い込みが発現するのがダメ出しです。
自分が有能だと信じ込んで部下にあれこれ言う上司に当たったら、それは最悪です。これが上司ガチャ。
職場だけでなく、部活やスポーツチームでもあります。
先輩のしごきとかですね。
また、転職の場でも、転職エージェントが転職希望者に対してダメ出しをして自分の有能感に浸っている場面はよく見られます。
私は過去記事で書いているとおり、30社以上の転職エージェントと面談しており、これは何度も感じました。
また、2019年からTwitterをやっていますが、「ダメな求職者が多すぎる」といった批評家転職エージェントもちらほら見ます。
「何もわかっていない相談者にきつく言って世間をわからせてやった」みたいな転職エージェントの人のコメントとかを見るわけです。
そんなことを言っても応募者のためにはなりません。
ではなんで言うかといえば、そう批評する自分に満足したいからです。
「ダメ出しは人のためにあらず」(自分の有能さを自分で確認するためにやっている)なのです。
(2) 欠点を指摘するフィードバックには絶対に意味があるという神話
フィードバックは、「優秀な人であれば必ずする知的な活動」であり、「人を成長させるには絶対有効だ」と広く信じられているようです。
「フィードバックなんかしない方がいいよ」という意見は聞いたことがありません。
アマゾンで「フィードバック」と調べても、フィードバックはよいものである、どうやるか。という論調の本が多いです。
なかば常識のように思い込まれているフィードバック信仰を疑う人はいません。
それゆえ、自己高揚動機に駆られた上司は、そのフィードバック信仰を利用します。
「部下にダメ出しするのはみんなやってる。上司の仕事だ。私もやろう!」というわけです。
3 ダメ出し上司が目指すべき良いフィードバックとは
フィードバックがダメかというとそんなことはありません。
良いフィードバックももちろんあります。
(1) 良いフィードバックとは
良いフィードバックは、気づきとともに正しい結果を生み出すための体系的な方法を与えてくれる。
アーリック・ボーザー『Learn Better 頭の使い方が変わり、学びが深まる6つのステップ』(英知出版、2018年7月)150ページ
仕事であっても得られるフィードバックが良いものであれば、他人から何も言われずに好き勝手するよりも成長できます。
問題は、フィードバックそのものが悪いわけではなく、フィードバックが適切になされていないことにあります。
専門家は、フィードバックが最大の効果を上げたと言えるのは、学習者が新しい推論法を獲得したとき、あるテーマについての考え方が変化したときだと主張している。……しっかりしたフィードバックは地図のようなものだ。理解をどう進めていくかを知る手がかりになる。
アーリック・ボーザー『Learn Better 頭の使い方が変わり、学びが深まる6つのステップ』(英知出版、2018年7月)154ページ
フィードバックの最大の成果とは、フィードバックを受ける人が考え方を変化させることです。
相手の考え方を変化させるのがよいフィードバックです。
そして、良いフィードバックであれば、フィードバックを受けた人は、①自分の誤りに気づくだけでなく、②これから先どうしたらいいかの指針をもらえます。
ダメ上司が自分の趣味に従って部下にダメ出しするのは良いフィードバックからはかけ離れているわけです。
ではそんな良いフィードバックは具体的にどうやってすればいいのか。
(2) ダメ出しではなくよい所に焦点を当てる
フィードバックをどうすべきかについて、「フィードバックの誤謬」はこう言います。
みずからの卓越性を認識させ、定着させ、再現させ、磨きをかけさせることだ。
(マーカス・バッキンガム=アシュリー・グドール「フィードバックの誤謬」 DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー論文(2019年10月号))
具体的にはどうすべきなのか。
相手の良いところ(卓越性)に着目するのです。
そのためのテクニックとして以下2つを紹介します。
- 成果を探す
- 自分の直感的な反応を相手にすぐに伝える
① 成果を探す
よいフィードバックのポイントは、ダメ出しや粗探しではなく、相手の優れている点にフォーカスすることです。
プロジェクトがうまく動いた時、その成果をもたらしたチームメンバーに、「そう、それだよ」と声をかける。こうすることによって、その人の仕事の流れをいったん止め、いましがたの有効な行動に意識を向けさせることができます。
このフィードバックの例として、アメリカで一番人気のスポーツリーグであるNFL(全米フットボールリーグ)の伝説的コーチがこのテクニックを使っていたことが紹介されています。
ダラス・カウボーイズの伝説的なコーチ、トム・ランドリーが、低迷するチームを立て直した時のエピソードがある。他のチームがタックルに失敗したり、ボールを落としたりしたシーンを調査していたのに対し、ランドリーは過去の試合の映像を丹念に調べ、選手が自然な流れで苦もなく有効なプレーをしたシーンを集めて、選手ごとの名場面集を作成した。
マーカス・バッキンガム=アシュリー・グドール「フィードバックの誤謬」 DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー論文(2019年10月号)
アメリカのプロスポーツ界では、過去の映像を分析することは広く行われています。
映像を編集し、分析するのです。
その際に「ダメなプレー集」「直すべきプレー集」ではなく、「ここはよかった場面集」をこの伝説的コーチは作成して選手に見せていたのだそうです。
なぜそうしたのか?
このコーチが自ら語った理由はこうです。
ランドリーはその理由として、何かに失敗する方法を数えてもきりがないが、選手一人ひとりにとっての有効な方法はそうではないからだと説明した。有効な方法は認識可能なものであり、それを見つける最善策は、選手が最高のパフォーマンスを見せたプレーに注目することだった。彼はチームの選手一人ひとりに、「今後リプレーするのは君の勝利のプレーだけだ」と話した。
同上
「フィードバックの誤謬」では、ランドリーコーチの意図には以下2つがあったと分析しています。
①選手たちの気持ちを楽にするため
「彼はほめることの力を知っていたのだ」ということです。
②学習効果の高さ
各選手が映像をスローモーションで見て、自分の卓越性はこういう感じなのだと認識できれば、パフォーマンスは最大限に向上する。ランドリーはそう理解していたのだろうと分析されています。
ぜひこれからはランドリー流フィードバックを実践しましょう。
あなたにも同じことができる。チームの誰かが役に立つ働きや心揺さぶられるような仕事をしたことに気づいたら、いったん止まってそのことを際立たせる。「そう、それだよ」と声をかけ、自分の卓越性がどのようなものかを理解できるように手助けすることによって、気づきのチャンスを与えられる。その人の中にすでに存在するパターンに光を当てることで、彼らはそれを認識し、定着させ、再現し、磨きをかけることができる。これが学習である。
マーカス・バッキンガム=アシュリー・グドール「フィードバックの誤謬」 DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー論文(2019年10月号)
他人がよい動きをしたら「それいい!」と声をかけましょう。
聞いた本人は「え?そうですか?」と思うかもしれません。
それがポイントです。
本人が気づいていない良さに焦点を当てて、それに磨きをかけるのが学習なのだということです。
② 自分の直感的な反応を相手にすぐに伝える
他人を客観的に評価することはとても難しい。
やろうとすると相手の意欲を削ぐ。
ではどうするか?
客観的評価の逆をすればいいのです。
どの点をどう思ったのかという主観的な自分のコメントを相手に伝えるということです。
相手が示した卓越性に目を留めた時に自分が感じたことを説明するとよい。
マーカス・バッキンガム=アシュリー・グドール「フィードバックの誤謬」 DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー論文(2019年10月号)
ポイントは「自分が感じたこと」 です。
たとえばこんな表現です。
・「私はこういう印象を受けた」
・「あれを見て私はこう考えた」
なぜこうした表現がよいのか。
「自分が相手の行動に何を見て、どう感じたかを伝える以上に、確実で信用できることはない」からであるというのが、「フィードバックの誤謬」の説明です。
これらはあなたの反応、すなわちあなたの真実であり、それを細かく説明しても相手を判断、評価、矯正することにはならない。単純に、あなたの目から相手がいましがた世界に残した唯一無二の「痕跡」を見て、それをそのまま相手に伝えているだけだ。そしてこれは判断や評価ではないからこそ、より謙虚でありながら、より強力である。
同上
自分が思っていることは、自分の頭の中の世界のことであり、他人にとやかく言われることではありません。
自分の思ったことを伝えているだけ。
それも「卓越性」という仕事上の相手の好ましいポイントについて感想を言って悪いことはないでしょう。
そのため「これは判断や評価ではないからこそ、より謙虚でありながら、より強力である」。
この自分の主観を相手に伝える、というのは、上司や目上の人を褒めたたえる際にも有効な言い方です。
目上の人に対して「優秀ですね」とか「頭いいですね」というのは、失礼です。
司法試験受験生だったころ、学生は法学の教授を「あの先生は頭がいい」とか褒めていましたが、無礼千万です。
自分が評価者になって上から目線しているわけです。
仕事などで先輩や上司、年上の人などのパフォーマンスに感銘を受けたのなら、以下のように伝えましょう。
「○○さんが、あれをこうやっているのを見て私はすごいなと思いました。私も〇〇さんみたいにできるようになりたいです。」
自分の主観的な感想を伝えており、「私もなりたい」と言っているということは、「私はあなたのレベルに達していません。あなたは私より上です。」と伝えているということです。
評価しておらず、ファンのような目線で、相手を持ち上げています。
言われる相手は悪い気はしないでしょう。
転職面接でも、面接官のことはこうやって持ち上げましょう。
また話がそれましたが、大切なのはフィードバックのやり方としてこの主観面を伝えるのが有効だということです。
つい客観的評価者になりがちなので気をつけましょう。
ポイントは、相手のパフォーマンスがどれほど素晴らしいか、相手がどれほど優秀かという視点で話をしないことである。単純にほめるのも悪くはないが、あなたにはけっして客観的な優秀さを判断する権限はなく、相手もそのことを直感的に知っている。
同上
単に「すごいですね」「よくできました」というのは、やや危険です。
(3) よいフィードバックコメントの具体例
マーカス・バッキンガム=アシュリー・グドール「フィードバックの誤謬」 DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー論文(2019年10月号)で紹介されている望ましいフィードバックの例です。
左側がよくある客観的な評価者としてのコメントです。
そうではなく、右の自分の思ったこと、主観を伝えるべきだというのが「フィードバックの誤謬」の主張です。
「そんなポジティブなフィードバックばかりずっと続けられないよ」という声がありそうです。
未来永劫ずっとポジティブなコメントをしなければならないのか。
そうずっと永続的にポジティブフィードバックをし続ける必要はないようです。
研究結果によれば、望ましい行動を継続させるために、肯定的なフィードバックを永遠に返し続ける必要はないという。それがなくなっても、人は同じ行動を長期にわたって続ける場合が多い。自分の行動のレパートリーに組み込まれてしまったという理由で、そうするのだ。
(ターリ・シャーロット『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』(白揚社、2019年8月)74ページ)
ポジティブフィードバックを続けた結果、相手がが行動を変容させ、それが定着すればもうそれ以上コメントをする必要がなくなるということですね。
これができれば100点満点。
*****
本記事は、広く考えられているフィードバックには気をつけるべき点があることを紹介する内容でした。
それゆえ「ダメ出しばかりする上司は無能」というタイトルになっています。
単にダメ出しばかりするのは理にかなっていません。
単純な事実の指摘であれば客観的なフィードバックでもよく、それについては「フィードバックの誤謬」の中でも問題視はされていません。
人、組織の成長を促すフィードバックには、コツがあるのです。
もちろん本記事で紹介したようなフィードバックについての考えは1つの見解にすぎません。気が向いたとき、思い出して使っていただけたらと思います。
フィードバックを自己流で思い込みのままにする上司は単なる部下の人格否定マシーンになってしまう可能性があります。要注意。
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